東京高等裁判所 平成5年(行ケ)107号 判決 1994年8月24日
原告 成田哲雄
被告 日本弁護士連合会
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一申立て
一 被告が、平成五年五月一一日原告に対してした、原告の被告に対する審査請求(昭和六二年懲(審)第四号審査請求事件)を棄却するとの裁決は、これを取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要
本件は、東京弁護士会所属の弁護士である原告が、同弁護士会から一か月の業務停止に処するとの懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)を受けたので、被告に対して本件懲戒処分の取消しを求める審査請求(昭和六二年懲(審)第四号審査請求事件。以下「本件審査請求」という。)をしたところ、平成五年五月一一日、被告によって本件審査請求が棄却されたため(以下「本件裁決」という。)、本件裁決が違法であるとしてその取消しを求めた事案である。
一 前提となる事実
1 訴外陳克譲(日本名田島一郎。以下「亡一郎」という。)は、西暦一九〇〇年に台湾で出生し昭和五四年六月八日日本において死亡したものである。訴外田島明峰(以下「明峰」という。)及び訴外芳賀蓮子はいずれも亡一郎の嫡出子、訴外田島孝子、同田島はる子は、いずれも亡一郎の内妻、訴外森山君齢は亡一郎と田島孝子との間の子、訴外田島博山は、亡一郎と田島はる子との間の子、訴外田島華陽及び同近藤朝明は、いずれも亡一郎と訴外近藤信子との間の子、訴外田島芳枝は明峰の妻である(乙五三の一、二、五五、五六の一ないし一七、六九の一、二)。
2 訴外安藤章(以下「安藤弁護士」という。)は、東京弁護士会所属の弁護士であり、以前より亡一郎から法律相談・事件依頼を受ける関係にあった。
原告は、同じく東京弁護士会に所属する弁護士であり、昭和二八年から昭和二九年ころに亡一郎及び明峰と知り合い、昭和四〇年ころから明峰の法律相談や事件の依頼を受けていた者である(乙二四、弁論の全趣旨。安藤弁護士及び原告が東京弁護士会に所属する弁護士であることは当事者間に争いがない。)。
3 亡一郎は、昭和四年ころに日本大学医学部を卒業、昭和六年に田島病院を創立して医師を開業し、次第に事業を拡張して、昭和四八年ころまでに別紙第一物件目録及び第三物件目録記載の各不動産を取得し、かつ、別紙第二物件目録記載の学校、病院等を経営するに至った(乙一五、一六、四二、四四、五一、五九の二ないし四、五九の六ないし九、五九の一一ないし一三、五九の一八、二九、弁論の全趣旨)。
4 亡一郎は、明峰と必ずしも円満な協調関係になかったが、昭和五一年一二月ころ、明峰が亡一郎の実印を盗用して別紙第三物件目録記載の不動産につき架空の所有権移転請求権の仮登記手続をした旨、亡一郎が主張したことを発端として明峰と鋭く対立抗争するようになった。このため、明峰が、同月三一日、亡一郎を事件本人として東京家庭裁判所に禁治産宣告及び後見人選任の各申立てをし(いずれも亡一郎死亡による終了)、他方、亡一郎が、昭和五二年四月二〇日、明峰外一名を被疑者として窃盗、私文書偽造・同行使等の罪名により告訴するまでに至った(乙一三の一、二四、四四、五一、弁論の全趣旨)。
5 亡一郎は、昭和五二年七月一六日付けで次の内容を含む遺言公正証書(以下、「本件遺言公正証書」といい、本件遺言公正証書に基づく遺言を「本件公正証書遺言」という。)を作成した。
(一) 別紙第一物件目録記載の不動産は、陳孝子(田島孝子)及び陳はる子(田島はる子)にそれぞれ持分二分の一あて贈与する。ただし、右両名は債務も承継する。
(二) 別紙第二物件目録記載の病院・診療所の開設者たる地位、右目録記載の学校の理事長たる地位をいずれも陳博山(田島博山)、田島華陽(陳華陽)、近藤朝明及び森山君齢に承継させる。
(三) 明峰を推定相続人から廃除する。
(四) 安藤弁護士を遺言執行者として指定する。
(乙一四、四八、五一、九二)
6 右のような対立を解消するため、明峰側の代理人である原告と亡一郎側の代理人である安藤弁護士が関与して、昭和五二年一二月七日、亡一郎、明峰、田島孝子、田島はる子及び田島芳枝の間で、次の趣旨の条項を含む契約(以下「生前契約」という。)が締結された。
(一) 亡一郎の負債が資産を超過していることを明峰、田島孝子、田島はる子は確認し、亡一郎の依頼により、訴外株式会社田島研究所(以下「田島研究所」という。)及び訴外東海物産株式会社(以下「東海物産」という。)の各発行済の株式を明峰七〇パーセント、田島孝子、田島はる子各一五パーセントの割合に配分する。
(二) 後記(四)の法人設立前の学校、病院の経営については、明峰又はその指定する者を経営名義人とし、田島孝子、田島はる子は右経営者の変更手続の全責任を負い、経営全般につき経営委員会が医師を決定する。右委員会は、委員長を明峰、委員を田島孝子、田島はる子及び田島芳枝とし、可否同数のときは委員長が決する。
(三) 亡一郎の負債は、田島研究所及び東海物産が連帯保証し、また返済の必要があると認められる高利の債務等は銀行からの融資を受けて弁済する。この場合、明峰は、右(一)の株式譲受けの代償として田島孝子、田島はる子と共に個人で連帯保証する。
(四) 明峰、田島孝子、田島はる子は、東京医学技術専門学校(法人化されたものが別紙第二物件目録(1)記載の東京医学技術専門学院)と田島病院(同じく同目録(2)の田島医院)をそれぞれ法人組織とすることとし、法人の設立につき、現在右学校と右病院が使用している亡一郎、田島研究所及び東海物産所有の動産、不動産を各法人に寄付するものとする。
(五) 亡一郎所有の不動産(田島博山、森山君齢、訴外三好明名義を含む。)は東海物産の所有とし、所有権移転仮登記手続をする。
(六) 本件契約締結の日から一年半後に田島研究所及び東海物産が正常な経営状態になり、支払可能の場合、明峰は、右両社の代表者の責任において、田島孝子、田島はる子に各五〇〇〇万円あてを功労金として支払う。
(乙八、四七の一ないし五、四八、五〇、五一、一〇五)
7 しかし、生前契約の解釈を巡って、亡一郎の生前から当事者間に争いがあり、昭和五四年一月二二日には、生前契約が病院等の経営委託契約であることを前提として、亡一郎名義で明峰に対し委任契約解除の通知がされるなどした。また、以後、明峰及び東海物産らと亡一郎、田島孝子、田島はる子らとの間に多数の訴訟等が係属するに至った(甲二、三、乙三ないし六、一三の一ないし四、二三の一、二、二七の一、二、三〇の一、二、三一、四五の一、二、五一、五四、九五、九八の一、二、九九、一〇八)。
8 亡一郎は、昭和五四年六月八日死亡し、本件公正証書遺言によって安藤弁護士が遺言執行者に就任した。
明峰は、安藤弁護士が遺言執行者に就任することに不満を持ち、同年七月、実妹の芳賀蓮子名義で、原告が申立代理人となって、安藤弁護士を相手方として、東京家庭裁判所昭和五四年(家)第五一一二号遺言執行者解任審判申立事件及び同裁判所昭和五四年(家ロ)第六五号遺言執行者職務執行停止申立事件を申し立てた(以下、右各事件を「本件遺言執行者解任審判申立等事件」という。)。更に、中華民国法に準拠し、昭和五四年一二月二四日、中華民国台北市で亡一郎の親属会議が開催され、同会議において、安藤が遺言執行者から解任され、改めて、原告、古閑孝弁護士(以下「古閑弁護士」という。)、蘇益民(日本における呼称香村博正)弁護士(以下「蘇弁護士」という。)及び安藤弁護士が共同遺言執行者として選任されるに至った。なお、安藤弁護士は、昭和五五年九月一三日開催された亡一郎の親属会議の議決に基づき、同月二〇日付けで遺言執行者の地位を解任された。また、東京家庭裁判所は、亡一郎の相続人である訴外芳賀蓮子外一名が限定承認の申述をしたため、昭和五五年九月二二日、古閑弁護士を相続財産管理人に選任する旨の審判をした(乙八、二三の一、二、三四の一、二、三九、四八、五二の一ないし四、八三の一、二、一〇五、一一二)。
9 以上のような状況の下において、東京弁護士会懲戒委員会は、いずれも原告を被審査人とする、田島孝子、田島はる子、田島博山及び安藤弁護士からの懲戒請求(昭和五八年東懲第五号事件)並びに安藤弁護士からの懲戒請求(昭和六〇年東懲第八号事件)を受け、右各懲戒請求につき審理をし、昭和六二年七月二四日、原告の業務を一か月間停止する旨の議決(以下「東京弁護士会の議決」という。)をし、東京弁護士会は、右議決に基づき、同月二九日、原告を一ケ月の業務停止に処する旨の本件懲戒処分をした(乙二の一、二)。
10 東京弁護士会の議決の理由の要旨は、次のとおりである。
(一) 昭和五八年東懲第五号事件について
(1) 懲戒事由一
原告は、弁護士として、
<1> 明峰が、亡一郎等との間で、昭和五二年一二月七日、生前契約を締結する際、明峰の協議を受けてこれに賛助し、
<2> 亡一郎(原告)と明峰(被告)との間の東京地方裁判所昭和五四年(ワ)第二一四八号所有権移転登記等請求事件(以下「甲事件」という。)につき明峰の訴訟代理人としてこれに関与し、
<3> 東海物産(原告)と亡一郎(被告)との間の東京地方裁判所昭和五四年(ワ)第五三一〇号土地建物所有権確認請求事件(以下「乙事件」という。)につき東海物産の訴訟代理人としてこれに関与し
たものであるから、弁護士法二五条一号により、右<1>、<2>については明峰を、<3>については東海物産を各相手として弁護士としての職務を行うことを禁じられていたものであるところ、右8記載の経過により安藤弁護士外二名の弁護士と共同で亡一郎の遺言執行者に就任した上、
<4> 明峰(原告)が、生前契約に基づき、亡一郎の遺言執行者(原告及び安藤弁護士ら四名)を被告として提起した東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第七二二九号経営権等確認請求事件(以下「丙事件」という。)の昭和五五年九月二四日の第一回口頭弁論期日において、右確認請求にかかる経営権等が明峰にある旨を確認する裁判上の和解を成立せしめ、
<5> 甲事件につき、昭和五五年一〇月一一日、亡一郎の遺言執行者として訴えを取り下げ、
<6> 乙事件につき、昭和五五年一二月一二日、亡一郎の遺言執行者として東海物産の請求を認諾したものである。
原告の右<4>ないし<6>の行為は、いずれも弁護士としてこれをしたものであるから、弁護士法二五条一号により禁止されている職務を行ったものというべきであって、同条号に違反するものである。
(2) 懲戒事由二(その一)
原告は、前記(1)<4>ないし<6>の各行為をしたが、これらの行為は、いずれも遺言執行者たる弁護士としての職務を誠実に行うべき義務に違反し、弁護士法五六条に定める品位を失うべき非行に該当する。
(3) 懲戒事由二(その二)
<1> 原告は、亡一郎の遺言執行者に就任したにもかかわらず、その後の昭和五六年六月二六日、東海物産(債権者)と亡一郎との間の東京地方裁判所昭和五四年(ヨ)第二七八九号、同第三五七七号不動産仮処分事件につき、右債権者代理人として亡一郎相続財産管理人古閑弁護士から右事件についての担保取消の同意を得た上、保証供託金二六〇〇万円の還付を受けた。
右行為は、遺言執行者たる弁護士としての職務を誠実に行うべき義務に違反し、弁護士法五六条に定める品位を失うべき非行に該当する。
<2> 原告は、申立人芳賀蓮子の代理人として、安藤弁護士を相手方として、本件遺言執行者解任審判申立等事件を申し立てたが、その申立書中で「安藤弁護士は、田島孝子、田島はる子グループの背後で総指揮をとり、甲事件に使用した亡一郎の訴訟委任状を偽造し、また亡一郎の死亡は、安藤弁護士と田島孝子、田島はる子が共謀して死亡させた合理的疑いがある。」旨の主張をしているところ、右主張は関係人間の憶測を前提としてされたものであって、弁護士の職務執行行為としては極めて軽率な所業であり、弁護士法五六条に定める品位を失うべき非行に該当する。
(二) 昭和六〇年東懲第八号事件について
(1) 原告は、昭和五八年六月二四日、原告と同じ東京弁護士会の会員である安藤弁護士につき、
<1> 安藤弁護士は、昭和五四年三月八日、亡一郎の訴訟代理人として、明峰に対し、甲事件の訴えを提起したが、そのころ、亡一郎から、同訴訟の着手金名下に一〇〇万円を詐取したとし、
<2> 安藤弁護士は、前記のとおり原告他二名と共に亡一郎の遺言執行者に就任したものであるが、安藤弁護士が、昭和五四年八月二七日、右遺言執行者の地位を利用し、田島孝子及び田島はる子の両名に対して所有権移転登記手続をした行為は、公正証書原本不実記載、同行使に当たるとし、
<3> 安藤弁護士が、昭和五四年八月二七日ころ、田島博山に東京医学技術専門学院の設置者たる地位を、田島華陽に新橋クリニックの開設者たる地位を、それぞれ行政庁に申請させて明峰の経営権を不法に奪おうとしたことは詐欺の教唆に当たるとし、
<4> 安藤弁護士は、訴外両国企業株式会社(原告)、訴外永長佐京(被告)間の訴訟事件の被告訴訟代理人として裁判上の和解を成立させたものであるが、昭和四一年中に、右事件の原告である両国企業株式会社から、和解の際右原告のため有利に立ち働いた報酬として四回にわたり五三万円を受領したものであるとし、
<5> 安藤弁護士の右<1>の甲事件の訴えの提起並びに右<2>及び<3>の各行為は、全体として見れば、強迫ないし欺罔により亡一郎に遺言状を作成させた上これを秘匿し、もって明峰の犠牲において受遺者に全財産を帰属させるという財産乗っ取り工作に教唆、加担したことになるとして、
東京弁護士会に対し懲戒の請求をした。
(2) しかしながら、右<1>、<2>の事由については、安藤弁護士を被懲戒請求人とする別件である東京弁護士会昭和五四年東綱第一一号事件において、<1>の詐取の事実は認められないものとされ、<2>も安藤弁護士が田島孝子、田島はる子両名のために前記所有権移転登記手続を行ったことは遺言執行者として公正を欠いたことにはならないものとされており、これらにつき懲戒をしないことに対する懲戒請求人からの異議申出事件も棄却されて全て終わってしまっているのに、新たな資料も無しに再び懲戒請求に及んだものであり、<4>の事由については安藤弁護士が事件の相手方から五三万円を受け取った事実を認めることができず、これが誣告であると断定できないとしても、十分な裏付けなしにされた弁護士として許されない軽率な行為であり、<5>の事由についても強迫ないし欺罔により亡一郎に遺言公正証書を作成させたとの主張は事実に基づかないものであるから、右懲戒請求は、弁護士法五六条に定める品位を失うべき非行に該当する(乙二の二)。
11 原告は、本件懲戒処分の取消しを求めて、被告に対し本件審査請求をしたところ、被告の懲戒委員会は、平成五年五月一一日、昭和五八年東懲第五号事件の前記懲戒事由一、同二のうちのその一及び昭和六〇年東懲第八号事件の前記懲戒事由についての東京弁護士会懲戒委員会の議決に基づく本件懲戒処分の認定・判断は相当であり、昭和五八年東懲第五号事件の懲戒事由二のうちのその二の<1>についての認定・判断は相当でない(なお、昭和五八年東懲第五号事件の前記懲戒事由二のうちのその二の<2>についての認定・判断はされていない。)が、結論として本件懲戒処分は相当として是認できるとして、本件審査請求を棄却するのを相当とする旨の議決(以下「本件議決」という。)をし、被告は、同日、本件議決に基づいて本件審査請求を棄却するとの本件裁決をした。本件採決は、同月一三日、原告に送達された(乙一の一ないし三。なお、本件採決が、同月一三日、原告に送達されたことは当事者間に争いがない。)。
二 原告の主張
1 弁護士法二五条の「職務」とは、日本法によって与えられた職務・権限を意味するものであるところ、原告は、中華民国法に基づき、陳克修を主席とする親属会の委嘱により、全相続人代表、利害関係人の立会・承諾の下に亡一郎の遺言執行者に選任されたものであって、原告の本件遺言執行者としての行為は、日本民法によるものではない。
また、弁護士法二五条は、「既に知っている相手方の内情その他秘密にわたる事情を利用して相手方を不利に陥れる」ことを防止するために設けられた規定であるから、相手方の立場を代表する安藤弁護士が共同遺言執行者に就任した本件にあっては右のようなおそれはなく、同条に抵触することはない。
2 原告は、昭和五五年九月二七日に開催された第一九回遺言執行者会議(当時は安藤弁護士が解任されていたので、原告、古閑弁護士、蘇弁護士の三名が遺言執行者であった。以下、右会議を「本件遺言執行者会議」という。)における決議に基づき、亡一郎の遺言執行者として、その職務を執行するため、甲事件を取り下げ、乙事件を認諾し、丙事件につき和解をしたものであり、弁護士としての資格で右行為をしたものではない上、原告は、右決議に加わらなかったものであるから、右各行為が懲戒事由に当たることはない。
3 原告は、亡一郎のした本件公正証書遺言が、その後にされた亡一郎と明峰との間の生前契約により、これと抵触する限度で取り消されたとの解釈に基づき、甲事件を取り下げ、乙事件を認諾し、丙事件につき和解をしたものである。生前契約が負担付の譲渡契約であり、これと抵触する限度で本件公正証書遺言が取り消されたことは、その後に出された多数の判決により是認されており、法律常識として当然のことであるところ、右解釈によれば、甲、乙及び丙事件の目的物は亡一郎の遺産に含まれないから、原告が右各行為をしたことをもって懲戒事由に当たるとすることはできない。なお、生前契約の効力について裁判所の公権的判断を受けた上で右各行為をすべきであったということも一つの考え方であるが、本件の場合、生前契約の目的物が病院等であり、緊急に生前契約の執行をすることが要請されており、裁判所の公権的判断を受ける暇はなかったものである。
4 本件議決は、<1>本件紛争の当事者間において、昭和六一年七月一四日、裁判上の和解が成立し、長年にわたる対立状態がほとんど解消したこと、<2>生前契約の解釈につき、原告と軌を一にする裁判所の判断が示されており、結論として原告の遺言執行行為が相当なものであったこと、<3>安藤弁護士に対する懲戒請求は、除斥期間経過後の事由に関するものであって安藤弁護士が懲戒されるおそれが全くない事案であったことを認定しながら、業務停止一か月という議決をしたものであり、処分理由に齟齬がある上、業務停止一か月という処分は重きに失する。
三 被告の主張
1 弁護士法二五条に規定する「職務」とは、同法三条に規定する「職務」と同一であり、いやしくも弁護士の資格において行う職務であれば、法例により渉外的私的生活関係の準拠法として指定した外国法に関する法律事務の取扱いであっても、同法二五条に規定する「職務」に含まれる。
また、同条は、弁護士に対する国民の信頼を確保することを目的とするものであるから、本件のような行為が同条の規定に抵触することは明らかである。
2 原告は、本件遺言執行者会議における決議に実質的に関与し、賛成の意を表したと同視できるものである。これは、右会議の議事録に、「成田弁護士は決定に賛成なるも、相手方の代理人であったので決議採決に加わらない」旨の記載が存することから明らかである。
3 生前契約の解釈が原告主張のとおりであるとしても、原告は、相手方の協議を受けて賛助し、又はその依頼を承諾した事件について職務を行ってはならなかったものであるから(弁護士法二五条)、前記親属会において亡一郎の公正証書遺言の遺言執行者に選任され、その職務の執行として甲事件を取り下げ、乙事件を認諾し、丙事件につき和解をすることが必要とされた場合には、遺言執行者の職を辞すべきであったものである。
4 日本弁護士連合会懲戒委員会は、原告が主張する三点の事実を考慮した上で業務停止一か月が相当である旨の本件議決をしたものであり、これが重きに失するということはない。
第三当裁判所の判断
一 まず、昭和五八年東懲第五号事件の懲戒事由について検討する。なお、右懲戒事由のうち、本件議決及び本件裁決の理由となった懲戒事由は、前記懲戒事由一及び二のうちのその一であるから、右事件の関係では右各懲戒事由に限定して判断する。
1 証拠(乙八、一三の三、二四、二七の一、二、四七の一ないし五、四八、五〇、一〇五)によると、原告が、弁護士として、
<1> 明峰が、亡一郎等との間で、昭和五二年一二月七日、生前契約を締結する際、明峰の協議を受けてこれに賛助し、
<2> 亡一郎(原告)と明峰(被告)との間の甲事件につき明峰の依頼を承諾して訴訟代理人となり、これに関与し、
<3> 東海物産(原告)と亡一郎(被告)との間の乙事件につき東海物産の依頼を承諾して訴訟代理人となり、これに関与し
たことが認められる。
2 また、前記第二、一8のとおり、原告が、安藤弁護士外二名の弁護士と共同で亡一郎の遺言執行者に就任したことが認められるところ、証拠(乙三、四、六)によると、
<4> 明峰(原告)が、生前契約に基づき、亡一郎の遺言執行者(原告及び安藤弁護士ら四名)を被告として提起した丙事件の昭和五五年九月二四日の第一回口頭弁論期日において、右確認請求にかかる経営権等が明峰にある旨を確認する裁判上の和解を成立せしめ、
<5> 甲事件につき、昭和五五年一〇月一一日、亡一郎の遺言執行者として訴えを取り下げ、
<6> 乙事件につき、昭和五五年一二月一二日、亡一郎の遺言執行者として東海物産の請求を認諾し
たことが認められる。
3 右1、2の事実に鑑みれば、右2の<4>ないし<6>の行為は、原告が、相手方の協議を受けて賛助した事件(右1<1>の事件)又はその依頼を承諾した事件(右1<2>、<3>の事件)につき、弁護士としての職務を行った行為と認められ、これが弁護士法二五条一号に違反することは明らかであり、また、右各行為が、明峰及び東海物産の言い分に沿うものであって両者に一方的に有利なものであることを考慮すると、結果的に右処理が正しかったとしても、同法五六条に定める品位を失うべき非行に該当すると認められる。
4 原告は、弁護士法二五条の「職務」とは、日本法によって与えられた職務・権限を意味するものであるところ、原告は、中華民国法に基づき、訴外陳克修を主席とする親属会の委嘱により、全相続人代表、利害関係人の立会・承諾の下に亡一郎の遺言執行者に選任されたものであって、原告の本件遺言執行者としての行為は、日本民法によるものではない旨主張する。
弁護士法二五条一号の規定は、「既に知っている相手方の内情その他秘密にわたる事情を利用して相手方を不利に陥れる」ことを防止するためのみならず、弁護士の職責の重要性に鑑み、弁護士が同条号に抵触する行為をすることにより、当事者はもとより、社会一般から弁護士の品位、信用について疑惑をもたれることを未然に防止することをも目的としていると解されるところ、弁護士が外国法に準拠して遺言執行者に就任した場合であっても、少なくとも日本国内において、先に協議を受けて賛助し又はその依頼を承諾した当事者を相手として、遺言の執行行為として訴えの提起、応訴、和解、認諾、訴えの取下げ等をする場合には、弁護士の品位、信用について相手方や社会一般に多大の疑惑を生む点で、これが日本法に準拠した遺言執行者が右各行為をした場合と異ならないものであり、同法二五条一号の規定は、弁護士が外国法に準拠して遺言執行者に就任し、その執行行為として訴えの提起、応訴、和解、認諾、訴えの取下げ等をする場合にも当然に適用されるものと解される。そうすると、原告が、中華民国法に準拠して亡一郎の遺言執行者に就任し、その執行として右のごとく甲事件を取り下げ、乙事件を認諾し、丙事件につき和解をしたことは、同条号に規定する「職務」を行ったことに当たると認められる。したがって、この点での原告の主張は理由がない。
5 また、原告は、昭和五五年九月二七日に開催された本件遺言執行者会議における決議に基づき、亡一郎の遺言執行者として、その職務を執行するため、甲事件を取り下げ、乙事件を認諾し、丙事件につき和解をしたものであり、弁護士としての資格で右行為をしたものではない上、原告は、右決議に加わらなかったものであるから、右各行為が懲戒事由に当たることはない旨主張する。しかし、原告は、亡一郎の遺言執行者に就任する際に田島孝子に提出した「就職承諾書」(乙七)に「弁護士 成田哲雄」と署名し、本件公正証書遺言や生前契約の解釈等につき亡一郎の遺言執行者である原告、蘇弁護士、古閑弁護士三名で作成した「遺言執行についての見解」(乙九の一)及び「昭和五二年一二月七日付契約の解釈」(乙九の二)と題する各書面にそれぞれ「田島一郎遺言執行者 弁護士 成田哲雄」と署名していること、昭和五四年一二月二四日の亡一郎の親属会議議事録に「被相続人の遺言執行者として弁護士……成田哲雄を……選任し」との記載が存すること(乙三四の一)を考慮すると、原告が、弁護士の資格で亡一郎の遺言執行者に就任し、甲事件を取り下げるなどの行為をしたことが明らかである。また、確かに、甲事件の取下げ、乙事件の認諾、丙事件の和解は、昭和五五年九月二七日開催された第一九回遺言執行者会議における決議に基づきされたものであり、右会議の議事録には「成田弁護士は決定に賛成なるも相手方の代理人であったので、決議の採決には加わらない。」との付記がされていることが認められるが(乙七六)、他方、右決議は、原告、蘇弁護士、古閑弁護士三名の協議の結果合意された「本件公正証書遺言は生前契約の締結により一部取り消された」旨の解釈を前提としてされたものであり(乙九の一、二)、実質的には原告も右決議に参加していたものと認められる上、そもそも原告は、明峰から協議を受けて賛助をし、かつ、明峰及び東海物産から依頼を受けてこれを承諾し訴訟代理人となった者として、明峰及び東海物産の相手方たる亡一郎の遺言執行者に就任することを回避すべき義務又は遺言執行者を辞任すべき義務があったというべきであるから、遺言執行者を辞任しないで、更に進んで甲事件を取り下げるなどの行為をすることは、これが前記遺言執行者会議の決議に拘束されてしたものであったとしても、弁護士の品位を失うべき非行をしたものと解して差し支えないものである。したがって、原告のこの点での主張も理由がない。
6 原告は、本件公正証書遺言が、その後にされた亡一郎と明峰との間の生前契約により、これと抵触する限度で取り消されたとの解釈に基づき、甲事件を取り下げ、乙事件を認諾し、丙事件につき和解をしたものであり、右解釈は、その後に出された多数の判決により是認されており、法律常識として当然のことであるところ、右解釈によれば、甲、乙及び丙事件の目的物は亡一郎の遺産に含まれないから、原告が右各行為をしたことをもって懲戒事由に当たるとすることはできない旨主張する。
しかし、生前契約についての解釈が原告主張のとおりであるとしても、原告としては、前認定のように、そもそも遺言執行者として右各行為をすべきではなかったのであるから、その他の点について判断するまでもなく、原告の右主張自体理由がないものというべきである。のみならず、本件公正証書遺言が、その後にされた亡一郎と明峰との間の生前契約により、これと抵触する限度で取り消されたとの解釈に対しては、田島孝子、田島はる子、田島博山ら及びその代理人である安藤弁護士において、生前契約は経営委託契約であって本件公正証書遺言とは抵触しない旨争い、かつ、生前契約は亡一郎の委託契約解除通知(乙四五の一、二)により解約されている旨主張していたことに加えて、生前契約は、その文言ばかりでなく、その目的、背景事情、交渉の経過等を合わせて考慮しなければ正しい解釈をすることが困難であったと認められるのであって(甲二、三、乙四五の一、二、五一、弁論の全趣旨)、右のように遺言の効力をめぐって利害関係人の間に争いが生じる等の事情がある場合には、公平な立場に立って遺言を執行すべき遺言執行者としては、特段の事情のない限り裁判所の公権的判断をまって甲事件の取下げ等の右各行為をすべきであったというべきである。したがって原告が、田島孝子らの反対を押し切り、蘇弁護士及び古閑弁護士と共同して明峰に有利な形で甲事件の取下げ等の右各行為をしたことは、遺言執行者の行為としては不適切なものというべきであり、加えてそれが原告が賛助しあるいは関与して事件に関わるものであったことを考慮すると、たとえそれが遺言執行者としての立場においてされたものであるとしても、前認定のように原告は弁護士であるが故に遺言執行者に選任されたものであるから、右各行為をもって弁護士の品位を失うべき非行に当たると解するに何らの妨げとなるものではない。本件公正証書遺言及び生前契約についての原告の解釈が結論として多数の判決により肯認されたとしても、右結論を左右するものではない。なお、原告は、本件の場合、裁判所の公権的判断を受けなかったことについての特段の事情として、生前契約の目的物が病院等であり、緊急に生前契約の執行をすることが要請されており、裁判所の公権的判断を受ける暇はなかったとの事実が存する旨主張するが、本件全証拠によるもこれを認めるに足りる証拠はない。
二 次に、昭和六〇年東懲第八号事件の懲戒事由について判断する。
1 証拠(乙二の二、弁論の全趣旨)によると、原告が、昭和五八年六月二四日、原告と同じ東京弁護士会の会員である安藤弁護士につき、
<1> 安藤弁護士は、昭和五四年三月八日、亡一郎の訴訟代理人として、明峰に対し、甲事件の訴えを提起したが、そのころ、亡一郎から、同訴訟の着手金名下に一〇〇万円を詐取したとし、
<2> 安藤弁護士は、前記のとおり原告他二名と共に亡一郎の遺言執行者に就任したものであるが、安藤弁護士が、昭和五四年八月二七日、右遺言執行者の地位を利用し、田島孝子及び田島はる子の両名に対して所有権移転登記手続をした行為は、公正証書原本不実記載、同行使に当たるとし、
<3> 安藤弁護士が、昭和五四年八月二七日ころ、田島博山に東京医学技術専門学院の設置者たる地位を、田島華陽に新橋クリニックの開設者たる地位を、それぞれ行政庁に申請させて明峰の経営権を不法に奪おうとしたことは詐欺の教唆に当たるとし、
<4> 安藤弁護士は、訴外両国企業株式会社(原告)、訴外永長佐京(被告)間の訴訟事件の被告訴訟代理人として裁判上の和解を成立させたものであるが、昭和四一年中に、右事件の原告である訴外両国企業株式会社から、和解の際右原告のため有利に立ち働いた報酬として四回にわたり五三万円を受領したものであるとし、
<5> 安藤弁護士の右<1>の甲事件の訴えの提起並びに右<2>及び<3>の各行為は、全体として見れば、強迫ないし欺罔により亡一郎に遺言状を作成させた上これを秘匿し、もって明峰の犠牲において受遺者に全財産を帰属させるという財産乗っ取り工作に教唆、加担したことになるとして、
東京弁護士会に対し懲戒の請求をしたことが認められる。
2 証拠(乙七〇、七一の一、二、弁論の全趣旨)によると、右1<1>、<2>の事由については、原告が、安藤弁護士を被懲戒請求人として東京弁護士会に請求した懲戒事件(昭和五四年東綱第一一号事件)において、<1>の詐欺の事実は認められない、<2>の所有権移転登記手続については遺言執行者として公正を欠いたことにはならない旨それぞれ議決され、これに対する異議申出も棄却されており、これを争う余地が無くなっているところ、原告は、格別新たな資料もないまま再度同一の事実につき安藤弁護士を懲戒請求したことが認められ、右懲戒請求の事由が詐欺、公正証書原本不実記載、同行使といった犯罪にかかるものであることを考慮すると、右原告の行為は、弁護士としての品位を失う非行と言わざるを得ないものである。
また、右1<4>の安藤弁護士が、訴訟の相手方たる訴外両国企業株式会社から、和解の際右原告のため有利に立ち働いた報酬として四回にわたり五三万円を受領したとの事実及び<5>の安藤弁護士が強迫ないし欺罔により亡一郎に遺言状を作成させたとの事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができない。また、原告において安藤弁護士が右各行為をしたと信ずるにつき相当な根拠があったとも認められない。ところで、右各事実は、安藤弁護士が犯罪又はこれに準ずる行為をしたという趣旨のものであるから、何ら相当な根拠がないのに、このような主張をして懲戒請求をすることは、弁護士としての品位を失う非行であると認められる。
三 最後に、本件懲戒処分が重きに失するか否かについて判断する。
右一、二で認定した懲戒事由、ことに原告が訴訟事件の委任者である明峰及び東海物産の相手方たる亡一郎の遺言執行者に就任し、遺言の執行行為として明峰及び東海物産に有利な形で甲事件の取下げ等をしたことは、弁護士の品位、信用に対する当事者及び社会一般の信頼を著しく損なうものであることを考慮すると、本件紛争の当事者間において、昭和六一年七月一四日、裁判上の和解が成立し、長年にわたる対立状態がほとんど解消したこと、生前契約の解釈につき、原告と軌を一にする判決の判断がされており、結論として原告の遺言執行行為が相当なものであったこと、安藤弁護士に対する懲戒請求は、除斥期間経過後の事由に関するものであって安藤弁護士が懲戒されるおそれが全くない事案であったこと等原告主張の事実を考慮しても、原告を業務停止一か月に処した本件懲戒処分が重きに失するとは認められないし、本件議決に処分理由についての齟齬があったとも認められない。
そして、本件全証拠によるも、他に、本件裁決を取り消すべき事由があるとは認められない。
四 よって、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 清水湛 瀬戸正義 小林正)
別紙第一、第二、第三物件目録<省略>